気づきのタイミング

気づきのタイミング

初めてワークをし始めた頃、父に関する内容は避けようと思いました。なぜなら、過去15年以上父との問題についてカウンセリングを受けてきたし、今は亡き人になっているので、今更過去のことを掘り起こすのは父に対して失礼なように思いました。

しかし、現在ストレスに感じていることについてワークをやっていくうちに頻繁に父との思い出が頭に浮かびました。また、ケイティも「生死に関係なくストレスに感じる人を対象にワークをしなさい。」とスクール (The School for The Work) で何度もお話されていたので、「仕方ない…、父に関してワークシートを書くか…」とあまり気の進まない状態で父に対してワークをし始めるようになりました。

父に対するビリーフ

「自分の人生を一変させた本 ザ・ワーク」のブログを読んだ方はご存知と思いますが、毎晩のように酔った父と家庭内暴力の絶えない家庭で育った私は、父を憎んで育ちました。父に対する嫌悪感は相当なものでした。「父は悪魔だ。父は暴力を振う。父は私が嫌いだ。父は自分のことだけしか考えない人間だ。父は病気だ。」などのビリーフを本当に信じ切って生きてきました。父の取ってきた行動は暴力以外の何物でもないとずっと信じ切って生きてきました。もしかしたら、このブリーフを別の面から見ることができるのではないか?などたったの一度も考えたことはありませんでした。父が肺がんで亡くなった時も、心から素直に悲しんだり泣いたりすることができず、そんな自分を冷たい人間とののしったこともありました。

最初の大きな気づき

二度目のスクール (The School for The Work) へ出席したときのことです。最も恐怖だと思った体験についてワークをしていました。状況は、私が中学校2年生のとき冬の学期が終わり通知表をもらった日のことです。私の通知表の結果があまりにも悪いことに頭にきた父は、散々怒鳴家を飛び出しどこかへ飲みに行きました。夜中の2時過ぎごろに帰宅し、怒鳴りまくり最初に一階で父を待っていた母を数回殴り、次に二階で寝ていた兄の部屋へいき兄を殴り、最後に私の部屋に来て私のほほを数回殴りました。その時の状況を思い出しながらワークをしていたら、まるでその場にいるときのように恐怖心で身体がぶるぶる震え、涙が止まりませんでした。しかし、そのワークで気が付いたことがありました。最も恐怖だったのは父に殴られたことではなく、父が二階へ上がってくる階段の音が最も恐怖なことだったのです。最も恐怖だったことは、これから起こり得ることを頭の中で描いているイメージだったことに気が付きました。つまり、父に対して恐怖心を抱いていたのではなく、自分の頭の中で作り上げたイメージを見て恐怖心を抱いていたのです。実際に父に殴られた瞬間は、むしろほほが熱くなるのを感じる程度で恐怖心はありませんでした。父が私の部屋を去ったときは、「やっと終わった」とほっとしたのを覚えています。

父へのビリーフが大きく変わった時

2年ほど前に友人とワークをしていた時のことです。私は、小学校5年生の時に理由が分からないままに父に殴られた記憶を基にワークシートを書きました。ワークシートのNo. 1の文章は、「私は父を恐れている。なぜなら、父は私を傷つけたいから。」でした。友人に「どう反応するか?」と質問されて、しばらく自分が父にお風呂場で殴られているときの状況を頭の中で再現しました。何分ほどその状態が続いたか覚えていません。しかし、自分の中に現れた答えは、「父が私を殴りやすいようにほほを突き出す」ことだったのです。とても不思議に思いました。なぜ、殴られることを恐怖に思っている私が、父に殴られやすいようにするのでしょうか?「え?なにこれ?ちょっと待って…」と戸惑いを感じました。しかし、父が私を風呂場で殴っているときの状況を頭の中で見ていると、「殴られたい」という答えしか見つからないのです。ここではっきりと誤解のないように触れておきますが、昔も今も暴力には大反対です。ここで感じた「殴られたい」気持ちは、暴力を許すというのとは全く別ものです。

置き換えをしているときに気づいたことは、私は父に殴られたかったのです。その状況(お風呂場で殴られている状況)で、父が私を殴りたいと思っているなら、殴らせてあげたい、という気持ちだったことに気が付きました。父が私を殴ることで、私が父が私を殴りやすいようにほほを突き出すことで、私たち親子はつながっていたのです。とても妙なことだし悲しいことのように聞こえるかもしれません。理解に苦しむ方も少ないと思います。これに気づいたときは、私も理解に苦しみました(笑)。しかし、それが私の正直な回答だったのです。父に愛されたい一心で、父がそれを望むなら私も同じことを望む。そうすることで親子の絆が保てるならそうしたい、というのが私の本当の正直な気持ちでした。

そのことに気が付いて以来、自分の父に対するビリーフが大幅に変わっていきました。前は、父との思い出はあまりにも辛いことなのでふたをしたい、と思っていました。しかし、今では父との思い出は切なく、とても恋しいものとして感じるようになりました。そして、父がどれだけ私を愛していてくれたのかを気づくようになりました。「父は暴力的だ」や「父は私をコントロールする」などのビリーフは、今では自分の中でとても弱いビリーフとなっています。

気づきのタイミング

初めてワークをし始めた当時、この気づきに気づくことはできなかったと思います。何度も何度も同じ状況についてワークシートを書き、ワークをした結果、これらの気づきにたどり着いたのだと思います。いつ、どのタイミングでどのようなことに気づくのか、私には全くわかりません。きっと誰にも分らないことだと思います。でも、自分の中で対応できる分だけ気づいていくのだろうと思います。ちょうど、ジョギングのような感じです。最初は単距離しか走れないが、そのうちに長距離が苦にならなくなってくる。ワークもそのような感じだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください