アルツハイマーの母

アルツハイマーの母 父が他界したのは、2008年10月19日。その数か月後に、兄から母の状態がちょっと変だと連絡がありました。医者に連れて行ったところ、初期段階にも入らない、まったく初期の初期のアルツハイマーでその時には、まだ何の心配もいらないということでした。 アルツハイマーが進行している… 2015年の秋に里帰りしたとき、かなり台所が汚い状態だったり、賞味期限が切れている食べ物が冷蔵庫にたくさんあったり、と「あっ、少し状況が進んでいるかな?」と感じることが多々ありましたが、母は相変わらずゲートボールの練習やら試合やら老人会の集まりやらに出かける忙しい日々を送っていました。母の通うアルツハイマーのクリニックに一緒について行ったとき、初期段階から中期段階へ移りつつある、というお話をいただきました。そして、ここ7年ほどは進行状態がかつて例のないほどに遅いという良いお話をいただきましたが、これからは同じペースで進行していくとは限らない、ということでした。数か月中に中期段階の真っただ中に入ることもあるし、中期から後期段階に入ったら死を覚悟してほしい、とはっきりと言われました。 私の名前は? 毎週、週一で電話するのですが、ここ数か月ほど電話をかけるとすぐに切ろうとするのです。「いつこっち来るの?待ってるよ。じゃね。」という具合です。様子がおかしいと感じ、思い切って「ママ、私が誰だかわかる?私の名前言える?」と聞くと、「もちろん!分かってるわよ!失礼ね!」というのですが、私の名前を言わないのです。しばらく、「じゃあ、言ってみて。私の名前は?」と繰り返し聞いたらやっと思い出してくれました。 思わず怒りを感じて戸惑う私 電話を切って、しばらく今自分が体験したことを頭の中で繰り返し再現してみました。最初のリアクションは、ショック!と同時に「とうとう来たか…。」という残念な気持ち。そして、怒りも感じました。その時、「不公平だ!」「まだ私には時間が必要」「ママはこのまま逃げていくなんてずるい」「無責任だ」「もう二度と母親としての責任を取る必要がない!」などの考え(ビリーフ)を信じている自分に気が付きました。正直、ここ数年間母親との過去についてずっとワークをしてきたのに、いまだにこのような考えがあることに戸惑いを感じました。いまだに母の過去に対して怒りを感じている自分がいたのです。 自分の怒りをワークシートに書く そこで、母が私の名前を言えなかった時を状況にジャッジメント・ワークシートを書き、ワークをし始めました。ワークシートのNo. 1のビリーフ「もう二度と母親としての責任を取る必要がない」をワークして気が付いたことがいくつかあります。 置き換えで気が付いたこと 自分への置き換えで「私はもう二度と自分の責任を取る必要がない」の例は、電話で母親が私の名前を言えなかった瞬間に母を批判し、まだ解決していない問題が二人の間にあるのに、アルツハイマーだからと言って責任逃れをしている、と頭の中で母を責めました。私の姿勢がまさに「私はもう二度と自分の責任を取る必要がない」と物語っていたのです。つまり、母に責任を負わせようと必死で、自分では責任を取る必要がないと信じ切っていたのです。 相手への置き換えで「私はもう二度と母の責任を取る必要がない」の例は、電話で母と話していたとき、自分の心の痛みで頭が一杯で、母の恐怖心や心配などを気にする余地など自分の中にまったくなかったことに気が付きました。 反対の置き換えで「もう二度と母親としての責任を取る必要がない」という意味がポジティブだった場合、どのような例が思い浮かぶか考えてみました。ありきたりの例として、自分の人生は自分の責任で、母の責任ではないからというのが頭の中に浮かびました。しかし、そう自分に言ってみたところ、心から本当にそう思っていないと感じました。まるでこれが『正しい例=こう言うべき例』だから、言っていると感じました。 私の母は最悪 反対の置き換えで「もう二度と母親としての責任を取る必要がない」という意味がネガティブだった場合、「私の母は最悪の母親だ」というストーリーを小さいころから信じて生きていたので、そのストーリー(=アイデンティティ)を手放すことに自分が恐怖心を抱いたことに気が付きました。「私の母親は最悪」のストーリーを手放すと、本当に母親を失ってしまう…、無意識にそう思ったのかもしれません。たとえ、ビリーフが『最悪の母』だったとしても、そのビリーフと私はつながっていたのです。本当の実際の母とつながっていたわけではありませんが、それでも私にとってはとても大切なつながりだったのです。 まだ解決していない問題が私たち二人の間にある、という考えを信じていました。母が本当に心から自分の過去について私に謝ってくれたら、そしたら私は晴れて自由になれると心のどこかでいまだに信じていたのです。 ワークをしてわかったこと ワークをして、まだ解決していない問題が私たち二人の間にあるのではなく、まだ解決していない問題が自分自身の中にあるのだということに気が付きました。その解決していない問題とは、自分が母親の過去に対していまだに怒りを感じ、混乱し、恐怖心を感じ、時には孤独を感じているのだ、というその事実をしっかりと自分自身の中で受け止めることを自分にしてあげていなかったのです。それが、まだ解決していない問題だったと気が付きました。 今日、また母親に電話してみます。そして、私の名前を言えないかもしれないので、先に「珠美よ。元気?」と会話を始めてみようと思っています。

シアトルの1日ワークショップ

シアトルのワークショップ 1月30日、ケイティは、シアトルで1日ワークショップを開催しました。参加者数は何と(!)750人以上。私の予想をはるかに上回る参加者数で、とても驚き、そして感動しました。 ニューイヤーズ・クレンズ同様、ケイティにファシリテートしてもらいたい人たちが手を挙げて、ケイティがランダムに人をステージに招くというのが、このワークショップのスタイルでした。 数多くの参加者は、ワークは聞いたことがあるけれど…、というビギナーの方が多かったのが印象的でした。それと同時に、これほどの人数がザ・ワークに興味があると分かったことは、とても嬉しくなんだか勇気づけられました。 ステージに上がってケイティにファシリテートしてもらった人々のワークシートのほとんどは、かなり深刻な内容で、丸一日ステージに釘付け状態!ケイティは全く疲れた様子を見せず、本当は5時に終了のはずがオーバータイムで5時半ごろまでセッションを行うことに…。しかもその後に本のサイン会でケイティと一緒に写真を撮る催しが1時間ほどあり…。疲れを見せないケイティって、本当にすごいパワーを持っている人だとつくづく思い知らせれました!! 何が最も印象的だったかというと…、ケイティのイベントやワークショップにはもう相当数参加している私ですが、ケイティは「あなたがいる場所が私がいる場所=ありのままを愛する」を本当に徹底している方なのだと、今一度つくづく感じました。ステージでワークシートを読む方々の苦しみをすごく集中して聞いているのが分かりました。そして、その人たちが恐怖心で一杯だったら、そっと優しく包み込んであげ、怒りで一杯になりケイティに文句を言う人がいたら、その人の心の痛みをしっかりと聞いてあげていました。ケイティは、彼女の目の前に座っているその人がその瞬間最も大切な人なのだ、ということを常に感じて生きていらっしゃる方なのだ、と心に染み入るように感じました。 もちろん、ケイティを心から愛している、と何度も過去に感じたことがありましたが、このワークショップでは、強烈に彼女への愛情が湧き上がっているのが自分の中で感じました。もう、表現しようがないくらい自分の胸は愛で一杯で、このまま愛情に押しつぶされてもいい…、と思えるほどでした。

「うつにならない」と言い聞かせて…

「私はうつにならない」と言い聞かせて… 16年間人生を共にした愛犬、サルは、5月の末にこの世を去りました。当初、泣きまくり思いっきり悲しみに浸りました。 それ以来、目まぐるしく様々なことがあり、悲しみに浸っている時間がないほどに忙しい日々を過ごしていきました。新しい街へ引っ越ししたり、主人が解雇され、サルが去った当初でもあったので思いっきって二人でハワイへバケーションへ出かけたり、5日間のザ・ワーク・サマーキャンプをシアトル郊外で開催したり、東京で初めてワークショップを開催したり…。これらの忙しい日々を自分なりにうまくこなしていると思っていました。 しかし、9月の半ば頃だったでしょうか…。なんとなく、自分の中でバランスが取れていないような気がしてきたのです。簡単に表現するとうつに似た気分になってきました。最初は閉経期が近づいていてホルモンのバランスが良くないのかな?と思いました。「大したことはない。大丈夫…」と自分に言い聞かせて。しかし、現実には、どんどんうつのような気分になり、一日中ベッドで本を読んだりパジャマのままで過ごしたりする日が続き、何もやる気が起きない自分を無視することができなくなりました。ワークをしていても何か心からワークをしていないような、自分に正直になってワークをしていない、そのような気分が続きました。 ベッドでうだうだしているときに、ふっと、もしかしたら私は未だにサルがいなくなったことを悲しんでいるのかもしれない、と思ったこともあったのですが、そう思った瞬間に「あー、マインドが落ち込む理由を作り上げているんだ。」と即否定。その他、いろいろなストレスとなる考えが自分の中で芽生えていることに気が付いたのですが、「私にはワークがあるのだから、うつになんてならない。大丈夫。」と自分に言い聞かせました。 強烈な悲しみが襲ってきました 先月、引っ越しする前によく通っていた、マッサージの先生のところへ久しぶりに行ってみることにしました。馴染みのある街をドライブして、昔サルとよくここら辺を散歩したな、とぼんやりと思い出していたら急に泣きたくなりました。溢れ出てくる悲しみを抑えることができないほどの強烈な悲しみが襲ってきました。即車を止めてしばらく号泣。サルへの悲しみはとっくに自分の中で処理できていると思っていたので、この体験には強い衝撃を受けました。 その夜から、自分は「悲しい」という感情を押し殺していたことに気づきました。忙しいからということを理由に、無意識のうちに感情をコントロールしようとしていました。「悲しい」とか「うつっぽい」と思ったら、それらの思いを書き出してワークをするのではなく、「そんなことはない。自分は二度とうつにはならない。」と言い聞かせました。 しかし、現実には「悲しい」という感情が自分の中で頻繁に湧き上がっていて鬱な状態に陥っていたのです。その証拠に、気力が全くなくなりベッドに横になる日々が続きました。「悲しい」とか「うつっぽい」という感情や考えを信じないようにコントロールしようとして、実際は信じていたわけです。それが、明らかに行動や気分に表れました。 「悲しみ」なくしては「喜び」は存在しない この体験でもう一つ気が付いたことは、悲しみや暗い気分を押し殺そうと努力して、同時に感謝や喜びの気持ちも押し殺してしまっていたのです。喜びや感謝の気持ちは、悲しみや暗い気持ちを無視しては存在しないのだ、ということに気がづきました。ジェフ・フォスターの本、『もっとも深いところで、すでに受け容れられている』の本にも、バランスについて触れている箇所がありました。感情をコントロールしようとすると、喜びの感情も感じることができなくなるのです。悲しみたくないがために、「悲しい」と感じたら心を閉ざし、同時に喜びへも心を閉ざしていたのです。 そのことに気が付いてからは、毎日1人で静かにメディテーションする時間をもち、その時その時に体験する感情を優しく包み込むようにそっと見届けるプラクティスをしています。泣きたい、と思ったら素直に泣き、怒りを感じたらじっとその感情と一緒にいてあげる。まるで自分の親友と一緒にいるように。そうすることの大切さを忘れていたようです。  

日本人と西洋人の違い

日本人と西洋人の違い 感情の表現が難しい ここでお話したい日本人と西洋人の違いは、ワークを通じて感じたことです。ワークは、ジャッジメントワークシートというワークシートに自分の感情や気持ちを書き込むことから始まります。この段階で、すでに大きな違いがあると感じています。例えば、1つの状況において自分の感じたことをワークシートに書いていくのですが、その自分の感情や気持ちを紙に書き出すという作業が、日本人にとってかなり難しいことなのだということに気が付きました。確かに、私も最初にワークのやり方を学んだ頃は、ワークシートに書く感情はほとんどいつも「怒っている」か「悲しい」くらいのもので、そのほかにどのような感情があるのか、それぞれの状況においてどのように感情を表現すればいいのか、戸惑ったことを覚えています。もし、ワークシートを書くときにご自分の感情を表すことが難しいと感じたら、こちらのリンクから「感情と反応のリスト」をダウンロードして活用してください。ttp://thework.com/sites/thework/nihongo/downloads/Emotions_and_Reactions_List_Japanese_A4.pdf 自分の感情を表現することが難しい、と感じている日本人の方は少なくないと思います。もしかして、これは小さい時から自分の感情を表に出さないようにとしつけられてきたからではないでしょうか?   他人を批判する 感情の表現以外で違いを感じることは、人をジャッジ(批判)することへの抵抗です。多くの日本人は、人を批判するということにおいて後ろめたさを感じたり、悪いことをしているように感じているのではないでしょうか。他人への批判よりも自分に対する批判のほうが多い、とお話される方が多いです。もしかしたら、小さいころから人様を批判することは悪いこと、という教育を受けてきた影響の表れなのではないでしょうか? ワークを通じて自分で認識できたことは、実は自分はありとあらゆることを常に批判している、ということです。それは、ケイティもよくお話されるように、マインドの仕事なのです。ご自分で今ここでテストしてみてください。今ご自分がいる場所を右から左とゆっくりと眺めてみてください。しばらく眺めているうちに、マインドが「あそこが汚い」とか「あの壁の絵が曲がっている」とか「あの人の髪型が嫌い」など、次から次へと批判的な意見が生まれてくることに気が付くと思います。批判は、決して私がコントロールして考ることでもなく、まして自分で批判の考えをストップすることはできません。自然とマインドの中で起こっていることです。じっくりと時間がかけて自分のマインドが何を考えているのかを見てみると、必ず自分以外の物や人を批判しているご自分に気が付くと思います。そこから、ワークシートを書き始めてみてください。   自由に考えるということ 日本人は、特にここの部分が苦手なのでは?と感じています。私も日本で教育を受けてきていますので、学生時代に、自由に考えてそれを思ったままに表現する機会があまりなかったことを記憶しています。 ワークをする際、4つの質問に答えていくわけですが、クライアントの方から「このような答えでいいのでしょうか?」とか「何と答えて良いか分かりません。」とおっしゃる方が多くいらっしゃいます。正しい答えを出さなければならない、という考えを信じてワークをしていませんか?ワークとは、「その考えは本当でしょうか?」と聞かれたら、相手が自分をどう思うかとか、「はい」という答えが正しいのか、「いいえ」という答えが正しいのか、などあれこれと考えずに自分の中に芽生えてきたことをそのまま言ってみる、というのがコツです。「その考えを信じるとき、どのように反応しますか?」の質問にたいしては、そのワークシートの内容の状況に戻り、頭の中で再度その状況を描いてみてください。きっとその時に自分はどう反応したか見えてくると思います。そしたら、それをそのままそっくりと表現すればいいのです。ワークには、「正しい答え」や「正しいやり方」はありません。   自分なりの答えを探すということ 個人差はあるとは思いますが、大半の日本人は受け身だと思います。小中高校の国語の授業で、回答を探すときある程度の「枠」を与えられ、そのなかから回答を探す、というのがパターン化されていたように記憶しています。自分なりの考えを探し出すというよりも、できるだけ人と同じように考え、同じように行動することが大切、と教えられました。日本の教育は、「協調性」を養うことに力を入れていると思います。 ワークを通じて感じることは、自分なりの答えを探すということを恐怖に感じていらっしゃる方が少なくないことです。自分なりの答えを探すことは、まるでだだっ広い野原に一人で放り出され、どの方角へ進んでいいかわからないような気分になるのではないでしょうか? まずは、ワークをしているときに感じたご自分の気持ちや感情を無視せずに、大切にすることから始められてはいかがでしょうか?「こんなことを感じてはいけない」とか「こんな気持ちになってはいけない」とご自分の感じてるいる感情や気持ちを抑えようとしたり、無視しようとしないでください。たとえその感情や気持ちが他人とは大幅に異なることでもです。一回でも感じた気持ちなら、その気持ちはすでにご自分の中に芽生えているのです。それを受け入れたくないと思っても、もう感じてしまったことなのだから仕方ありません。ご自分の感じた感情や気持ちを打ち消そうとか忘れようとすると、そこから苦しみが始まります。ワークをするときは、昔学校で学んだ「協調性」はいったん休止状態にしてください。そして、ご自分の感じる感情をまるでご自分の子供のように、または親友のように大切に扱ってください。そしたら、きっと自分なりの答えを出すことにそれほど恐怖を感じなくなるのではないでしょうか?

気づきのタイミング

気づきのタイミング 初めてワークをし始めた頃、父に関する内容は避けようと思いました。なぜなら、過去15年以上父との問題についてカウンセリングを受けてきたし、今は亡き人になっているので、今更過去のことを掘り起こすのは父に対して失礼なように思いました。 しかし、現在ストレスに感じていることについてワークをやっていくうちに頻繁に父との思い出が頭に浮かびました。また、ケイティも「生死に関係なくストレスに感じる人を対象にワークをしなさい。」とスクール (The School for The Work) で何度もお話されていたので、「仕方ない…、父に関してワークシートを書くか…」とあまり気の進まない状態で父に対してワークをし始めるようになりました。 父に対するビリーフ 「自分の人生を一変させた本 ザ・ワーク」のブログを読んだ方はご存知と思いますが、毎晩のように酔った父と家庭内暴力の絶えない家庭で育った私は、父を憎んで育ちました。父に対する嫌悪感は相当なものでした。「父は悪魔だ。父は暴力を振う。父は私が嫌いだ。父は自分のことだけしか考えない人間だ。父は病気だ。」などのビリーフを本当に信じ切って生きてきました。父の取ってきた行動は暴力以外の何物でもないとずっと信じ切って生きてきました。もしかしたら、このブリーフを別の面から見ることができるのではないか?などたったの一度も考えたことはありませんでした。父が肺がんで亡くなった時も、心から素直に悲しんだり泣いたりすることができず、そんな自分を冷たい人間とののしったこともありました。 最初の大きな気づき 二度目のスクール (The School for The Work) へ出席したときのことです。最も恐怖だと思った体験についてワークをしていました。状況は、私が中学校2年生のとき冬の学期が終わり通知表をもらった日のことです。私の通知表の結果があまりにも悪いことに頭にきた父は、散々怒鳴家を飛び出しどこかへ飲みに行きました。夜中の2時過ぎごろに帰宅し、怒鳴りまくり最初に一階で父を待っていた母を数回殴り、次に二階で寝ていた兄の部屋へいき兄を殴り、最後に私の部屋に来て私のほほを数回殴りました。その時の状況を思い出しながらワークをしていたら、まるでその場にいるときのように恐怖心で身体がぶるぶる震え、涙が止まりませんでした。しかし、そのワークで気が付いたことがありました。最も恐怖だったのは父に殴られたことではなく、父が二階へ上がってくる階段の音が最も恐怖なことだったのです。最も恐怖だったことは、これから起こり得ることを頭の中で描いているイメージだったことに気が付きました。つまり、父に対して恐怖心を抱いていたのではなく、自分の頭の中で作り上げたイメージを見て恐怖心を抱いていたのです。実際に父に殴られた瞬間は、むしろほほが熱くなるのを感じる程度で恐怖心はありませんでした。父が私の部屋を去ったときは、「やっと終わった」とほっとしたのを覚えています。 父へのビリーフが大きく変わった時 2年ほど前に友人とワークをしていた時のことです。私は、小学校5年生の時に理由が分からないままに父に殴られた記憶を基にワークシートを書きました。ワークシートのNo. 1の文章は、「私は父を恐れている。なぜなら、父は私を傷つけたいから。」でした。友人に「どう反応するか?」と質問されて、しばらく自分が父にお風呂場で殴られているときの状況を頭の中で再現しました。何分ほどその状態が続いたか覚えていません。しかし、自分の中に現れた答えは、「父が私を殴りやすいようにほほを突き出す」ことだったのです。とても不思議に思いました。なぜ、殴られることを恐怖に思っている私が、父に殴られやすいようにするのでしょうか?「え?なにこれ?ちょっと待って…」と戸惑いを感じました。しかし、父が私を風呂場で殴っているときの状況を頭の中で見ていると、「殴られたい」という答えしか見つからないのです。ここではっきりと誤解のないように触れておきますが、昔も今も暴力には大反対です。ここで感じた「殴られたい」気持ちは、暴力を許すというのとは全く別ものです。 置き換えをしているときに気づいたことは、私は父に殴られたかったのです。その状況(お風呂場で殴られている状況)で、父が私を殴りたいと思っているなら、殴らせてあげたい、という気持ちだったことに気が付きました。父が私を殴ることで、私が父が私を殴りやすいようにほほを突き出すことで、私たち親子はつながっていたのです。とても妙なことだし悲しいことのように聞こえるかもしれません。理解に苦しむ方も少ないと思います。これに気づいたときは、私も理解に苦しみました(笑)。しかし、それが私の正直な回答だったのです。父に愛されたい一心で、父がそれを望むなら私も同じことを望む。そうすることで親子の絆が保てるならそうしたい、というのが私の本当の正直な気持ちでした。 そのことに気が付いて以来、自分の父に対するビリーフが大幅に変わっていきました。前は、父との思い出はあまりにも辛いことなのでふたをしたい、と思っていました。しかし、今では父との思い出は切なく、とても恋しいものとして感じるようになりました。そして、父がどれだけ私を愛していてくれたのかを気づくようになりました。「父は暴力的だ」や「父は私をコントロールする」などのビリーフは、今では自分の中でとても弱いビリーフとなっています。 気づきのタイミング 初めてワークをし始めた当時、この気づきに気づくことはできなかったと思います。何度も何度も同じ状況についてワークシートを書き、ワークをした結果、これらの気づきにたどり着いたのだと思います。いつ、どのタイミングでどのようなことに気づくのか、私には全くわかりません。きっと誰にも分らないことだと思います。でも、自分の中で対応できる分だけ気づいていくのだろうと思います。ちょうど、ジョギングのような感じです。最初は単距離しか走れないが、そのうちに長距離が苦にならなくなってくる。ワークもそのような感じだと思います。

自分に正直になるということ

自分に正直になる 「自分に正直になる」とはどういうことなのかを考えてみました。できないことを素直にできない、と自分に認めること。今、感じていることをありのままに受け止めること。言うことは簡単ですが、実際にそれはどういうことを意味するのかを理解するのに時間がかかりました。 去年、義理の父が癌で亡くなりました。父が亡くなってから、今まで知らなかった夫の家族の問題が明るみになりました。夫と妹の長年の恨みつらみ。前々からそれほど仲が良くなかった二人ですが、ただ単に意見の食い違い程度のものだと思っていました。しかし、彼らの不仲はずっと昔から引きずっているもので、そうそう簡単に和解へ持っていけるような内容のものでないことに気が付きました。私の解釈では、妹が随分無理なことを言っているように思えました。どちらかの肩を持つべきではないのでしょうが、やはり夫の肩を持ちたいという強い気持ちがありました。 義理の父の家でお葬式の準備をしたり父の持ち物整理をしているときに、おそらくストレスからきているのでしょうが、妹が私たちを怒鳴ったり命令したりと、今までに見たことのない彼女の局面を見ることになり、正直びっくりしました。そして、自分の中に彼女に対する嫌悪感が募っていきました。嫌悪感を感じる中で、「これだけ長くワークをしているにもかかわらず、彼女の行動に嫌悪感を感じるなんて、自分はまだまだ修行が足りない。」と自分を責め始めました。そして、来る日も来る日も彼女に関してワークをしました。何とか彼女に対する嫌悪感を抑えたいという動機が働いていたのです。正直、とても苦しみました。何とか彼女を好きになりたい、夫の肩を持つのではなく、公平な目で物事を見れるようになりたい、と必死になりました。しかし、何枚ワークシートを書いても、何度ワークをしても妹への嫌悪感が消えることはありませんでした。同時にワークをしているときに、自然と心から回答が湧き上がってくるというよりも、頭の中で適切な答えを探していることに気が付きました。頭の中で、妹を許すためにどう考えればいいか、という動機が働いていたわけです。これは、ワークではありません。 そして、ついに自分は今のことろは妹を好きになれないのだ、という結論にたどり着きました。それが、自分に正直になるということだったのです。一生彼女を嫌って生きるわけではないかもしれません。でも、今は私は彼女を好きになれないのです。今は、彼女から距離を置いておくのが自分にとって親切な行動なのです。好きになれない人を無理に好きになろうとする努力がストレスを生んでいたのです。それが分かったとき、すっと肩の荷が下りました。自分に正直になるって簡単なようですが、実際はとても難しいことなのだと実感しました。

オープンハートについて

ある方から「オープンハートの意味が分からない」というご質問をいただきました。今日は、そのことについてお話しさせていただきます。 オープンハートとは、柔軟で偏見を持たない心のことです。偏見を持った状態でワークをした場合、「可能性」を見落としてしまうと思います。ここで言う可能性とは、今まで考えたこともない方向性で物事を見ることができる可能性です。ワークしていると、時に過激なほどに斬新なアイデアにぶち当たります。特に、置き換えをする時がそのときです。 例えば、「彼は私に嘘をついた」を相手(彼に)に対して置き換えた場合、「私は彼に嘘をついた」となります。なぜ、彼が嘘をついたその状況で私が嘘をついた例を探すことができるのでしょうか?この時にオープンハート(柔軟で偏見を持たない心)でいることが必要になってきます。「そんなことあるわけないでしょ?」と否定したくなりませんか?きっとあなたのマインドは、必死に彼が嘘をついた時の証拠探しをし始めることでしょう。そして、自分が正しかったことを認めてもらおうとすると思います。マインドは「そんな例なんて探せない」とあきらめかけると思います。その時に、オープンハートになって可能性を探してみてください。「絶対にそんなことはあり得ない」と自分に言っているマインドに気づきながら、とりあえず自分も彼に嘘をついたかもしれない可能性を探してみてください。きっと見つかると思います。今までの私の体験では、置き換えをしているときに例が見つからなかったことはありません。 「彼は私に嘘をついた」を反対に置き換えるとき、「彼は私に正直であった」、または「彼は私に嘘をつかなかった」となります。なぜ、彼が嘘をついたその瞬間に彼は正直であったかもしれない、と思えるのでしょうか?ほとんど不可能な感じがします。しかし、目を閉じてその状況の時に彼が言ったことを(頭の中に描かれるイメージ)オープンハートな状態でゆっくりと見てみると、やがて答えがぽっかりと自分の中に浮かび上がってきます。偏見の心であったなら、その浮かんできた答えを見落としてしまうか、もしくは「そんなことありえない。」と自分の中で即打ち消してしまうでしょう。従って、ワークをするときは、まるで何も知らない無邪気な子供のようにオープンハートな状態でワークをすることがとても大切なことです。

100% 確実なこと

自分について100%確かなこと 自分について100%確かなことを考えてみました。私の名前。私の性別。私の仕事。私の出身地。私の誕生日。私の家族。私の好きな食べ物。私の性格。私の好み。私の好きなスポーツ。 決してストレスな考えではないのですが、自分が確信していることについてワークをしていくとどうなるのだろう、という興味からそれらの考えについてワークをしてみました。すると、ワークをしていくうちに、確信していたことが確かでなくなっていきました。例えば、「私は珠美」という考えを4つの質問にかけて探求していきます。私が「珠美」である、という証拠は、両親にそう呼ばれたから。皆からそう呼ばれたから。どこかの書類にそう書いてあったから。両親にそう呼ばれて以来、自分は「珠美」という名前なのだ、と信じて生きてきました。 ワークをしていくうちに、「珠美」という名前がまるで社名のような感じがしてきました。「珠美」という名前から得るイメージ、雰囲気、感情などに気が付きました。そして、4番目の質問、「『私は珠美』という考えがなかったら、私はどうなるか?」を自問したとき、『珠美』というアイデンティティが消えていってしまうようで、一瞬恐怖心を感ました。私が私でなくなってしまうということが、とても危険なことのように感じました。もし、私の名前が「珠美」でなかったら、みんな私のことを知ることができない。私をほかの人たちと区別することができない。私は、その他大勢になってしまう。もし、私の誕生日が両親が教えてくれた日付でなかったら、自分は特別な人間でなくなってしまう。誰も私の誕生日をお祝いしてくれなくなる。この世で忘れ去られた人間となってしまう。もし、私の出身地が東京でなかったら、もし、私の両親を自分の両親と信じていることが本当でなかったとしたら、私のこの世におけるアイデンティティがなくなってしまう…。 自分のアイデンティティに関してワークをしていくうちに、自分は自分が100%確かだと信じてきたことが少しづつ崩れていきました。まるで、自分の世界が崩れ落ちていくかのように。そして、同時に「私の名前は珠美」や「私は人に親切に対応することが好き」などを信じ切って生きていくと、「珠美」というイメージや「親切な自分」というイメージを守ろうと必死になっている自分に気が付きました。自分のイメージを脅かされたと信じるとき、とても攻撃的になる自分にも気が付きました。自分には、「世間の評判」というものがありそれを守っていかないと大変なことになる、と真剣に信じていました。今でも、ちょくちょく自分に対する他人の評価を気にしている自分を見つけます。 自分が「100%確実に本当だ」と言い切れる考えをワークしていき、どの考えも本当だと言い切れないことが分かると、そのうちにものすごい解放感を感じるようになりました。「珠美」のアイデンティティがなくなると、「世間の目」も気にしなくていいのです。その解放感は今まで感じたことのないもので、何十キロという重りが肩から取り除かれたような、そんな解放感を感じました。 ここ数週間自分について100%確実に分かっていることは一体なんだろう、と思いを巡らしていました。もしかしたらそのようなものは存在しないのかもしれない、と思っていた矢先に1つだけ確実に自分について分かっていることを発見しました。それは、次に自分が何を考えるか、どのような思考が自分の頭の中に現れてくるか、100%確実に私には予想できないことです。これは、自分について100%確実に分かっていることです。朝起きたとき、「今何時だろう?今日は何曜日だっけ?」というような思いが浮かびます。でも、そのような思いを思い浮かべようと計画を立てて思っているわけではありません。目が覚めた瞬間にポカっと頭に思いが浮かぶのです。今朝目が覚めた時は、「今何時だろう?」ではなく、「まだ夜かな?」が最初の考えでした。 確かに、「今何時だろう?」や「今日は何曜日だっけ?」などの考えはストレスな考えとはいえません。でも、ストレスな考えも、「今何時?」の考え同様にポカっと浮かび上がってくるものです。先日、初対面の人とお話ししたときに、妙な胸騒ぎを感じました。それは、居心地が悪い感じの胸騒ぎでした。「この人を信じてはいけない」という考えを信じている自分に気が付きました。この考えは、決して自分で予定して考えたものではありません。自然とどこからか発生したものです。初対面の人に対して、なぜ「信じてはいけない」と思ったのか、私のマインドはなぜ私にそれを警告したのか、今じっくりと自分に聞いているところです。 自分について100%確かなことが見つかって、正直ほっとしています(笑)。自分が次に何を考えるのかは未知の世界でも、それが自分についての100%確かなことなので、私のエゴは満足しています(笑)。

今のままで十分 – That’s enough

今のままで十分 数年前、バイロン・ケイティのワークショップやスクールへ行き始めて、気分が安定して幸せを感じる時が多くなった頃、何か偉いことや意味のあることをやらなきゃって気がしてきました。 大学2年で中退したし、この際きちんと大学へ戻り卒業したほうがいいかもしれない。それから、社会福祉の免許をとって10代の問題児たちにワークを教え、立派な人間になるチャンスなのかもしれない。せっかく生まれてきたのだから、何か意味のあることをするべきなのだろう。次から次へと立派な人間としてどう生きるべきか、思いが生まれてきました。 意味のあることとは何なのか、思いを巡らせていたときに、ふっと昔のことを思い出しました。耳にタコができるほど、『意味のあることをするべきだ』と父に言われた昔を。意味のあることをするって一体何をするべきなのか、あの当時、全く見当もつきませんでした。 とりあえず、中退した大学を卒業しようと思い、2011年に大学に再入学しました。しかし、行き始めたら恐怖心で学校へ行くことをとても重荷に感じるようになりました。自分には、卒業なんて無理なのではないか。私は一体、なんでこんなことしているのだろう?何を求めているのだろう?心配と自分への自信のなさで、また途中で投げ出したくなりました。そのとき、「あー、私ってなんでいつもこうなんだろう。なんで、いつも中途半端なんだろう」と自分を責めてはめげるの繰り返しで苦しみました。そして、昔父に「ろくでもない奴だ」とか「何の役にも立たない奴だ」と言われたことを思い出しました。大学への再入学から卒業までの2年間、宿題と試験の合間にひたすら自分の恐怖心に対してワークをし続けました。きっと、ワークをしなかったら卒業せずに逃げ出していたと思います。 小さいときから両親に、「ちゃんとした人間になりなさい」と言われ続けてきた私は、結局自分も自分に同じことを言っているのだ、ということに気が付きました。ちゃんとしないと人に受け止めてもらえない。愛してもらえない。相手にしてもらえない。ちゃんとするということが一体どういうことを意味しているのかも考えたことがないのに、ちゃんとしていない自分を常に責めている自分に気が付きました。 今日もピアノのレッスン。「ちゃんと」ひけないと親父に怒られる。 学校の成績が悪いと親父に怒られる。「ちゃんとした」成績取らないと。 「ちゃんとした」高校へ入学しないと将来がない。 「ちゃんとした」大学へ入学しないといいところへ就職できない。 「ちゃんとした」人と結婚しないと一生自分は不幸になる。 両親に言われ続きてきたことを、そのまま無意識のうちに自分自身に言っている…。無意識のうちに自分が自分を否定していることに気が付いたときは、涙が止まりませんでした。そして、その自分を大切にしてやりたい、と思いました。 たったの一度も、「今のままで十分だよ」と両親に言われたがありません。そして、自分で自分のことを一度も褒めてやったことも、認めてやったことも、慰めてあげたこともありませんでした。両親が言うように、自分をろくでもない人間だとけなし続けてきました。 落ち込んでいるときに、一度でも「珠美、今のままで十分よ」って言ってあげてたら、どんなに気が安らぐことでしょう。 大学入試だめだったとき、絶対にこの会社に入社したい!と思って入社できなかったとき、好きな人への思いが通じなかったとき、そんなときこそ「珠美、今のままで十分よ」って自分で自分に言ってあげることができたなら…。それで十分なのではないでしょうか? 人に優しい言葉をかけてもらうことを待つのではなく、人に認めてもらうことを待つのではなく、自分で自分を認めてあげて、落ち込んでいるときは、自分に優しい言葉をかけてあげる。ワークによって、私はそれを学ぶことができました。 今日も鏡の中の自分に「珠美、今のままで十分よ」って言ってあげてます。

私の人生を一変させた本 ザ・ワーク

ワークを見つける前 自分の家族は問題だらけと思っていました。両親を嫌って育ちました。父は、頻繁に酔っては私たちに怒鳴り暴力を振るいました。父の肉体的・精神的虐待から私を守ってくれなかった母に対して、怒りと不信感を抱くようになりました。その結果、中学生の頃から不良になり、同級生をいじめたり、他校生と喧嘩をしたり…。煙草を吸ったりお酒を飲んだり…とありとあらゆる悪さをしてきました。世の中が嫌いだったし、人が嫌いでした。時々「あー、今死ねたらどんなに楽だろう」と思うようになり、自殺願望は、2009年にワークに出会うまでずっと続きました。 やがて家族から離れ、独自の人生を築く努力をしましたが、常に孤独を感じ、人を信用することを困難に感じました。 私の人生を一変させた本 「ザ・ワーク」 孤独感に襲われたり、鬱な気分に嫌気を指してきたころに、バイロン・ケイティのワークをある人から紹介されました。最初は、ワークに対して不信感を抱きました。簡単な4つの質問と置き換えを探すだけで、ストレスの根源を理解できるなんてありえない!と思いました。 今振り返ると、父の死と流産と仕事場から解雇されたことが重なり、塗炭の苦しみから脱け出したいという一心からザ・ワークの本をようやく手したのです。 ワークを見つけてから 一旦ザ・ワークを読んだら、「これしかない!」と思いました。これこそが、自分が今までずっと探し求めてきたものなのだ、と確信しました。ワークを通じて、自分が見るもの聞くもの、体験すること全てに怒りを感じていることに気が付きました。この状態で生活することは苦痛でした。また、人から拒否されることに対して強烈に恐れていたことに気が付きました。拒否される前からその『匂い』を嗅いだだけで、他の人を敵対視しました。『拒否』されるということは、死んでしまうことのように感じました。これは、自分の中でとても大きな気づきとなりました。ワークは、自分が周りを敵対視して生きていかなくていいことに気づかせてくれたのです。 父は、2008年に亡くなりました。最初は、父に関してワークをすることに抵抗を感じました。父はもう亡くなったのですから見逃してあげるべきだ、と思いました。古い思い出を穿り返すことにも抵抗を感じました。父は安らかな眠りについたのですから、私の父に対する感情も安らかな眠りにつけば良い、と考えていました。しかし、そう簡単にはいきませんでした。日常のストレスに関してワークをしていくうちに、ほとんどのストレスやビリーフは、両親、特に父親に関するビリーフにつながっていることに気が付きました。そして、ついに父に関するビリーフをワークし始めるようになりました。 確かに、父の暴力的な行動は、私の生活と精神に苦痛を与えてきました。しかし、たとえそうだったとしても、父は私を愛してくれなかったとは言い切れないということに気が付きました。たったの一度も、父は私を愛してくれていたのかもしれない、と思ったことはありませんでした。ワークを通じて、父の愛の表現が彼独特のユニークなものであったか、または愛情表現を知らなかっただけで、私を愛していなかったわけではないと気付くようになりました。自分のビリーフとは全く違った方角から物事を見る、という感覚を身に付け始めたのです。 ケイティは良く言います:「自分のマインドがクリアになり親切になると、世界中が親切になる」ワークを通じて、人の思いやりは常に自分の目の前にあったのだと気が付きました。以前、人に嫌悪感を持って生活していたのに、その嫌悪感が自分の中から消えていきました。前は、人を避け、素早く心を閉ざしてきましたが、今では、人との出会いが待ち遠しく、人とのつながりを心から求めるようになりました。以上が、ワークを見つけてから私にどのような変化が現れたかの例です。 ワークのもたらす影響例を挙げるときりがないほどに、自分の中で確実に世界に対する見方が変わってきています。それは、自分に対する見方の変化の現れなのだろうと思います。ワークのやり方は、とてもシンプルです。あなたに必要なのは、オープン・マインド(偏見のない、先入観を持たない心)だけです。 あの日、「ザ・ワーク」の本を手に取った日、これほどまでにシンプルなツールがこのような大きな影響力を私に与えるとは夢にも思いませんでした。だから、この素晴らしくとてもパワーのあるツール、ワークを皆さんとシェアしていきたいと思ったのです。 自分のマインドと親友になるため(Best Friend of Mind)に、ワークをする毎日です。皆さんと心の安らぎのために、いろいろなことをシェアしていけたら幸いです。